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軍艦防波堤より遥か地中海マルタ島へ思いを馳せる [雑学]

最近スターフライヤーの機内誌で近くに「軍艦防波堤」なるものがあることを知った。
「軍艦防波堤」は北九州市若松区の港湾地区にあり、正式名称は「響灘沈艦護岸」というらしい。
廃籍となった駆逐艦を固定し防波堤として再利用したものである。先端から順に桃型駆逐艦「柳」、秋月型駆逐艦「涼月」、同「冬月」の3艦を沈底させ、約400mの防波堤が作られたのだが、現在は「冬月」「涼月」の部分までは埋め立て地区に埋没しており、船体が確認できるのは「柳」の部分だけである。
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駆逐艦「柳」は竣工1917年というから、実に100年前の軍艦で、太平洋戦争ではなく第一次世界大戦に向けて急造された駆逐艦とのことである。当時日本は日英同盟に基づき連合国側についていたため、この「柳」を含む駆逐艦隊(第二特務艦隊)をはるばる地中海に派遣し、ドイツの潜水艦(Uボート)から輸送船を護衛する任務についたそうである。この任務でオーストリア・ハンガリー帝国軍のUボートと死闘を繰り広げ、犠牲になった日本人将兵の墓碑がマルタ島にあるそうだ。
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「柳」は排水量755トンで、埋め立てられて船体が確認できない秋月型の2700トンに比べるとずいぶん小型の艦である。全長は85mしかなく、間近で見ても「思ったより小さいな」と感じた。艦上構造物はなく上部をスパッと切断されたようになっており、内部も船体周囲もコンクリートで固められている。錆びついてボロボロになっている部分もあるが、100年経ってもいまだに原型を留めている鋼鉄の船体は沈黙していても何かを語りかけてくるような気がする。夜中に来たら怖いだろうな・・・
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船体の側面は外殻と内殻の二重構造になっているのがわかる。これは魚雷攻撃などに対するダメージコントロールのため?それとも普通の船も剛性確保のためこのような構造になっているのだろうか?
船体中央には箱型の水密隔壁?が確認できる。
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後方から。ここは絶好の釣りスポットのようで、多くの釣人で賑わっていた。(というか軍艦を見に来たのは我々だけ)
この「柳」は「桃型駆逐艦」の「桃」「樫」「檜」に次ぐ4番艦で、1917年竣工、排水量755トン、全長88m、全幅7.7m、主要兵装は12cm単装砲3基、3連装魚雷発射管2基。第1次世界大戦を生きぬき、1940年に除籍、その後は佐世保で練習船として使用されたそうである。つまり太平洋戦争では実戦には参加していない。それにしても軍艦らしからぬ、可愛らしい名前である。タミヤのウオーターラインシリーズには・・・無かった。

埋め立て地区に埋没してしまっている「涼月」「冬月」は「秋月型駆逐艦」で、排水量2700トン、全長134m、全幅11.6mであるので先の「桃型」よりはかなり大型である。1番艦の「秋月」は1942年に竣工、同型艦は12隻が建造された。防空任務を主眼に設計されたのが特徴で、10cm高射砲を8門と広角機銃多数、それと電探(レーダー)を装備している。魚雷発射管は4連装のものが1基のみである。 潜水艦より航空機の脅威を排除することに主眼をおいた艦種で、その名は海上自衛隊の汎用護衛艦「あきづき」に引き継がれている。


おまけ 
「海へ伸びるレール」
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北九州市は炭鉱と鉄鋼業の街で、産業遺構のようなものが多数ある。この海中に続いていくように見える朽ちたレールは若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋のたもとにあり、おそらく若松港が石炭積み出し港として栄えていたころのトロッコ用か、船の引き上げ用のレールと思われる。
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