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ストレスとチックと坂井三郎氏 [独り言]

<個人的な日記>
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久しぶりにチックが出た。チックというのは、無意識にまばたきや顔面のピクツキ、奇声などを発する、精神的ストレスが原因とされているものだ。中学や高校受験の頃には良く出ていたのだが、最近は鳴りを潜めていたのに・・・職場や引っ越し、育児、家庭のストレスが溜まっていたためだろうが、自分でも驚いている・・・・。
私は外科医をやっているのだが、医師というものはなるのも大変だが、なった後も意外と大変なのだ。一人前になるためには耳学問だけではダメで、先輩の技術を見て真似て自分のものにしなければならない。医学の進歩についていくために最新の文献を読み、専門分野についてはそれぞれ認定医とか専門医、指導医などの資格を取得していかなくてはならない。私は日本外科学会、日本消化器外科学会、日本心臓血管外科学会、日本血管外科学会、日本脈管学会、日本静脈学会に所属しているが、専門医制度があるものについては専門医試験を受験するために各分野の手術などを数百例こなし、論文を書いたり学会で発表したりする必要がある。5年間有効で更新するためにまた手術を百例とか論文を3編とかの厳しい条件がある。費用もばかにならない。各学会の年会費が1万円〜1万5千円。専門医試験は受験料5万円、合格したら認定料5万円が相場。更新のたびにまた5万円。年次総会の出席も義務づけられ、参加費は2万円とかである。学会の金集めが目的と疑いたくなるほどだ。
このように臨床(技術の習得)と研究(論文を書く、基礎実験をするなど)の両方を生涯続けなくてはならない、つらい職業だ。
臨床については問題ない。医師になってから20年近く、技術の習得のためには必死に努力した。そして自分はウデの良い外科医だと思う。自惚れで言うのではない、「自分が一番」と思えるくらいの腕前でなければ、申し訳なくて目の前の患者に自分が手術するとは言えないではないか。自分より腕の良い医師が近くに居れば、その人にやってもらうべきである。
研究については、これまで私は手を抜いてきた。大学病院など、低賃金でこき使われる研究機関には極力近づかないように(論文を多く書いて研究熱心な人物が優先的に配属される)、専門医などが取得できるため必要最低限の論文しか書いていない。そうして目立たないように、息を潜めて地方の病院勤めをしてきたのに・・・それが何の因果か、この春から大学病院勤務になってしまった。特に華々しい業績を挙げたわけではないのに大学病院に転属を命じられたのは「他に人材がいないから」である。現在大学にいるスタッフが一身上の都合で辞めることとなった。薄給で拘束時間が長く、上司(教授)に怒られっぱなしの職場に戻りたい奇特な人物は最近少ない。華々しい業績を挙げている大本命は「大学に戻るくらいなら辞める」と公言するし、優秀な若手は出先の病院が手放さないとか、以前教授に逆らったことで左遷扱い(大学には戻してやらないよ)だったり・・・皆勝手なことばっかり言っている・・・結局これまで目立たず無難に要領よくやってきた私が、教授に逆らったことがないイエスマンであり、業績はないものの消去法的に選ばれたのである。
・・・・ちょっとフクザツな気分である。
ノーとは言えない。ノーと言った時は左遷か、大学の息のかかってない職場を自分で探す覚悟が必要だ。
心配事は沢山ある。今更大学の疾患チーフとして研究論文を書き、後輩の指導ができるだろうか?家庭の事も。これまで時間的な余裕があったので、子供の保育園への送り迎え、食事の世話や風呂に入れたり、寝かしつけたり、子育てには出来る限り関わってきた。それで解るのだが、子育てのストレスは並大抵のことではない。妻も医師なので私と同じ宿命を背負っているのだが、度々キレるのも無理はない。私は晩婚だったので子供はまだ3歳と1歳、一番手のかかる時期である。聞くところによると大学病院は朝6:30出勤、仕事が終わっても教授が帰る9:00頃までは帰れない、ということは子供の世話は全て妻に押しつけることになってしまう。
加えて引っ越しに伴う住居の手配、子供の保育園の手配、妻の仕事先の手配など・・・これらの用事はほとんど妻に任せてしまい、私はほとんど関わらなかったことで、最近の妻は80%くらい不機嫌、時々普通というところである・・・・
全く趣味がうんぬんと言っている場合ではない。
思うに、「子供は泣くのが仕事、母は怒るのが仕事、父は謝るのが仕事。」
このように職場で家庭でストレスの多い生活が極限に達したのだろう。私は順応能力は高いほうで、キレるようなことはなく、妻曰く「ストレスを溜め込む性格」なので、そういうモノが行き場を失って「チック」になって現れたのだろう。

旧日本海軍の零戦エースパイロット、坂井三郎氏の著書「大空のサムライ」にこのようなことが書いてある。・・・・「何か失敗をやらかしたり、不利な状況に陥ったとき、何故そうなったかを悔やんでも仕方がないことである。後悔してもその不利な状況から脱出するためには役に立たないからである。それより、深呼吸し、平常心を保ち、どうやったらその状況を打開できるかを考えるべきだ。」
考えてみれば至極当たり前のことだが、数々の激戦を生き抜き、84歳で主治医に「もう眠っても良いか」と尋ねて没したと伝えられる人物の言葉には重みがある。

大学病院に勤め、研究論文に没頭し、業績を挙げること、「教授に逆らわなかった」ことは今後の人事や地位にプラスに働くはずである。大学でしかできないような難しい症例も経験でき、それはスキルとなり、1〜2年間、代わりが見つかるまで続ければ今よりずっと多くの引き出しを持つことが出来るはずだ。万一、妻が耐えかねて家庭が崩壊しそうになったなら・・・教授にケツをまくって辞職し主夫になる、という最終手段だってあるのだ。
なんとかなる、坂井さんのように前向きに建設的に生きてゆこう。



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